白い黒猫の小屋

思ったことを書くだけ

夏休みと女友達(981文字)

最初に、「三日坊主なので」と断ったとおり、三日坊主になったこのブログを久々に書いてみようと思う。

書きたいネタは山ほどあるのだが、マイルール「1000文字程度」書ける自信がない。なんなら、今書いているこれも書ける自信がない。

 

大学生の夏休みというのは有意義なもので、私のような大学で友人を作りそこねた組にとっては高校の友人に会える最大のチャンスを貰ったわけである。

もっとも、明後日また友人と会うのであるが、佐賀でのバイトと福岡での家庭教師の往復が1日置きにあって、9月の中旬本当につらかったというか、自分が何をしてるのかがよくわからなかった。

 

さて、なぜこんな時にブログを書こうと思ったのか。

答えは単純、暇だからである。

 

今、自宅にいない。

今、実家にいない。

 

女友達の部屋にいるのだ。

しかも、2人きりという言い方が合っているかわからないが、2人しかこの部屋にはいない。

さらにさらに、正確に言えば女の知り合い、レベルの人の家だ。

めんどくさいから以下「女友達」と書くことにするが。

 

女友達が多かった私にとって、大学生活で同じ学科に4人しか女性がいなかったことは悲しかったし、それだけで大学に行く理由が減ったレベルだった。

(男女差別うんぬんのコメントは受け付けておりません。私個人の感想です。)

 

4人しかいない女性と仲良くなりたい気持ちは山々であったが、そこでガツガツ行くような性格は持ち合わせていない。

私は、「クラスの中心のグループではないけどいつもこの2人でいます」的なグループの2人と仲良くする(し、したい)タイプだったからだ。

 

さて今日訪ねたこの女友達、夏休みが早く終わって欲しいという。聞けば、友達に会いたいらしい。

ああ、やっぱり仲良くなるタイプとは違うな、なんて思いながら、くっちゃべっていた。

 

大学で女友達があまりできなかった私にとって、とても嬉しい機会だったが、やっぱり私は「多くじゃなくて数人と仲良くしたい」派閥だから、逆に「多くの人と仲がいい人」はうまく噛み合わないのだ。

 

本人が見ていないことを願っているが(別に見られて困るわけではないけども)、多分今日以降また話すことはなくなるだろう。

そういったレベルで先述の条件は大事なのだ。

 

では、なぜ今そんな私がそんな女友達の家にいるのか。

 

終バスを逃したのだ。

きっぷ入れ(1074文字)

「座席のミニポケットをご利用の場合は、きっぷの取り忘れにご注意ください。」は九州に住んでいる人間ならば耳に馴染みがあるだろう。

JR九州でのアナウンスである。

 

私はこのアナウンス、あるいはそれにちなんだとでも言うべきだろうか、そういった文化が大好きだ。

 

理由を話そう。

 

きっぷ入れ、どこに直したか考えなくていいから良いよね。とか、そういうのもあるけど。

大きい理由は別にある。

古くから日本人は(日本人に限らないかもしれないが)、協力的というか、集団重視というか、なんとなくそんなイメージがある。

異論反論は認める。でもまあ事実は置いといて、そういう考えの人多いじゃん?

要は平和的ということよ。

 

きっぷが無ければ改札を通れないのだから、きっぷは大切なものだ。

逆に言えば、無賃乗車の人も、きっぷを奪ってしまえば問題なく改札を通ることが出来る。

 

そんな大切なきっぷを誰でも取れる場所に置くし、もっと言えばそのまま寝ている人もいる。

この文化、まあ言わば他人を信じる文化が好きだ。おまえら大好き。

 

しかし、他人だとか、客を過剰にヨイショする(という表現が正しいかは微妙だが、)文化にはもううんざりである。おまえら大嫌い。

 

先日、某つぶやく系SNSで見かけたものに、うちの職場では「黒で、装飾がなく、5cm程度の、パンプス」を強制させられてるっていうのがあった。そこまでせなあかんのか。と思う。

なんか伝統だの何だのにすごく左右される社会なのだとも思う。伝わってる?

 

そしてな、こういうルール?規則?って、「どーでもいい」って言う人は守らないし、「真面目にしよう」って言う人は守るんやろ。

なんか「真面目で損する」っちゅうのはこのことを言っとるんかいなレベルで的確ですね。

 

さらにはどうせ、守ってない人を見た客があーだこーだ言って、リーダー(?、知らんけど。)に、注意されることになるけど、その話を聞いてるのは真面目な人だけ。おもろいほど悪循環というかデフレスパイラルというか(違う)。

 

あんまり「形式美」とかにこだわらなくていいんじゃないのかね、と思いながら日々生活している。ちょうどこの前の制服の話と一緒。(詳しくは「夏服」。)

 

話が飛びましたね。要はきっぷ入れ好きってことをいいたかったんです。システムとしてね。

利用してない人って悪い人に取られるとか考えてんのかなあ。インタビューしたいですな。

 

ちなみにここまで話してきてなんだが、きっぷ入れは、駅員さんが乗車券確認をしやすいように作ったんじゃね?と個人的に思っている。

夏服(1072字)

最初に言っておくが、オチを全く考えずに書き出す。

 

うちの母校に限った話ではないと思うが、夏服という概念がある。

よく高校時代に「夏服、合服、冬服どれ派論争」を繰り広げたものである。

当然自身が着る話ではなく、着ている女子を見るときの話なのであるが。

 

高校を卒業してかなりの時間が経ったが、帰省して夏服姿の母校生(という呼び方が正しいかはわからないが。)を見ると、めちゃくちゃ懐かしい。

ここまでの流れでわかると思うが、この前帰省した時に夏服の女子を見た。

自転車に乗ってることもあってか、だいぶ涼しそうに見えた。

 

文部科学省が言ってたのか、はたまた保護者が言ってたのか忘れたが、

やれポニテだの靴下だのメガネだの性的興奮がうんぬんだのと話を思い出した。

私は夏服(を着ている女子)が大嫌いなのだが、その理由に薄いこと、ガバガバなことがある。

 

私の母校ではないが、夏服の生地は厚いものの板みたいにカチコチペラペラで

前かがみになろうものならオープンセール!みたいな高校があって、

目を逸らすのも嫌だし目を逸らさないのも嫌、みたいな状況があった。

(友人に話したら羨ましがられたが、そういうのは私は受け付けない体質なのだ。)

 

だから夏服を廃止すればいいかといえばそうではない。

男子の夏服はめちゃくちゃ涼しいし、多分女子もそうなのだろう。

なんだかあちらを立てばこちらが立たずな感じがする。

(最近、「あちらが立てばこちらが立たず」が好きでよく使っている。)

そういう差別は嫌いだ。

 

しかし、しかしだ。

私の同級生に、夏服透けたりするの嫌じゃない?と聞くと、決まって嫌だと言うのである。しかも百発百中。

多分10人くらいには聞いたと思うのだが、透けることを考えて下着の色を調節するのはなんか好きじゃない、とか、わざわざ色を考えて買うのは嫌だ、とかいろんな話を聞いた。(女子とどんな話をしてるんや、とかいうツッコミは受け付けてない。)

 

まあ見られる側も見る側(は私だけか?)も変更を望んでいるのだから、変更したっていいのではないか。と。

 

こう言うことに目を向けずに、なんか違うことばっかりに目を向けてる奴らを見るとイライラしてしまうのだ。

さっきの性的興奮うんちゃらの話ではないが、政治家の発言を揚げ足とってはニュースの話題にしているのを見ると、まだ飽きねえのかよこいつら。と。

 

夏服のデザイン、女子たちで決められればいいのに。というか私服にしてもいい制度(選択可能性)でもいいのに。

 

変質者からしたら夏服がいいんだろうけどなあ…。

あっ、でも冬服派の変質者からすれば…。

 

そんなことを考えた、初夏の夕方。

固定電話(985文字)

一人暮らしをしてすぐ、実家の固定電話を解約するとの連絡。

しかも「料金形態が日割りだからすぐにでも」と。

 

人生をともに歩んだ電話だった。

 

私がまだ鼻水を垂らしていた可愛い可愛いがきんちょの頃、親の意向で携帯電話を持たされていなかったので、電話番号の交換は常に固定電話であった。

今でさえ普通にスマホを使って通話するが、人生をともにした電話を解約すると言うのだからなんだか”終止符”な感じがするのだ。

 

自分の電話帳とか手帳なんて小洒落たものはなかったから、指の動きで人の電話番号を覚えたのが懐かしい。

今でも幾らかの友人の固定電話番号を覚えている(が、使われているかは不明)。

 

学校の先生が「彼女との電話は3コール以内に出ると決めてたんだ。今は全部携帯だろ?」と言った時、心の中で俺やんと思った記憶がある。

ただし彼女との電話は3コールと言う約束を誰か(彼女と)したわけではないのだが。

 

そう言えば、一人暮らしをして一番さみしいのは、固定電話がないことだと一人暮らし開始時に思った。

使えないことはないのだが、正直電話代が惜しいところ。

しかも、今固定電話番号を得て、誰と電話するんだろうか。

私の携帯料金形態は、某SNSを用いて電話をかければ無料になるものであるから、わざわざ固定電話を使う必要もない。

愛着があるのは固定電話そのものではなく、固定電話番号なのかもしれない。

 

固定電話番号への愛着はすごくて、自宅の電話番号なんて100回と言わないくらい書いたし、少なくとも友達10人には教えた。

 

住所、も同じような趣を感じる。

パソコンが普及しはじめて、メールを個人が使うようになると、住所を尋ねることをしなくなった。年賀状もメールで、なんて友人も少なくない。

そのころのいろんな書類に書く電話番号はまだ固定電話だった気がする(もっと言えば、携帯電話番号はだめみたいな書類もあったと記憶している)から、多分住所が消えたのはもっと前だったのだろう。

 

解約を決定したのも、そもそも代金を払っているのも父であった(代金を払っているのは両親、とした方が正しいだろう。)から、

「愛着があるのでさみしいですね」と返信したら、さみしいと思うけど云々と返事が来た。まああまり愛着はないのだろう。彼にとって固定電話はクレームを言うためのツールであったから。

 

そんなこんなで連絡があってから1ヶ月。

今でも実家には固定電話がある。