白い黒猫の小屋

思ったことを書くだけ

固定電話(985文字)

一人暮らしをしてすぐ、実家の固定電話を解約するとの連絡。

しかも「料金形態が日割りだからすぐにでも」と。

 

人生をともに歩んだ電話だった。

 

私がまだ鼻水を垂らしていた可愛い可愛いがきんちょの頃、親の意向で携帯電話を持たされていなかったので、電話番号の交換は常に固定電話であった。

今でさえ普通にスマホを使って通話するが、人生をともにした電話を解約すると言うのだからなんだか”終止符”な感じがするのだ。

 

自分の電話帳とか手帳なんて小洒落たものはなかったから、指の動きで人の電話番号を覚えたのが懐かしい。

今でも幾らかの友人の固定電話番号を覚えている(が、使われているかは不明)。

 

学校の先生が「彼女との電話は3コール以内に出ると決めてたんだ。今は全部携帯だろ?」と言った時、心の中で俺やんと思った記憶がある。

ただし彼女との電話は3コールと言う約束を誰か(彼女と)したわけではないのだが。

 

そう言えば、一人暮らしをして一番さみしいのは、固定電話がないことだと一人暮らし開始時に思った。

使えないことはないのだが、正直電話代が惜しいところ。

しかも、今固定電話番号を得て、誰と電話するんだろうか。

私の携帯料金形態は、某SNSを用いて電話をかければ無料になるものであるから、わざわざ固定電話を使う必要もない。

愛着があるのは固定電話そのものではなく、固定電話番号なのかもしれない。

 

固定電話番号への愛着はすごくて、自宅の電話番号なんて100回と言わないくらい書いたし、少なくとも友達10人には教えた。

 

住所、も同じような趣を感じる。

パソコンが普及しはじめて、メールを個人が使うようになると、住所を尋ねることをしなくなった。年賀状もメールで、なんて友人も少なくない。

そのころのいろんな書類に書く電話番号はまだ固定電話だった気がする(もっと言えば、携帯電話番号はだめみたいな書類もあったと記憶している)から、多分住所が消えたのはもっと前だったのだろう。

 

解約を決定したのも、そもそも代金を払っているのも父であった(代金を払っているのは両親、とした方が正しいだろう。)から、

「愛着があるのでさみしいですね」と返信したら、さみしいと思うけど云々と返事が来た。まああまり愛着はないのだろう。彼にとって固定電話はクレームを言うためのツールであったから。

 

そんなこんなで連絡があってから1ヶ月。

今でも実家には固定電話がある。